どう見るか。どう見えるか。

 


敢えて自分の弱いところを何度も掘り起こし何度も対峙し考え続けるのは、そうしないと根本的な解決にはならないから。
いやらしいやり方だとは思うが、
過去の経験に基づいて導き出した私なりのやり方。

ある人に質問され、そういえばこれは認知行動療法に近いのかもしれないと気づく。

目を背けること、そこから逃げるために道を考えること、それらの知識を身につけることも努力は必要だし、その道を見つけたこと自体は素晴らしいと思う。
どれも見つけられぬまま苦しんでいる人も見ているので尚更。

ただ、臭い物に蓋をしたままだと、何かの拍子にその蓋が外れてしまった時、
蒸し返すものは以前よりも大きなものとなるのではないか。
生ごみを入れたゴミ箱を想像するとわかりやすい。

蓋は思いの外簡単に外れる。
たとえ平地に置いていてもだ。
そしてその拍子はいつ訪れるかわからない。
更にその蓋は自分が外してしまうよりも、人に外される可能性の方が高い。
それも知っている。

この認知行動療法的なやり方が合っているかはわからない。
そもそも私は心理士でもカウンセラーでもなく少しかじっただけで、大学の専攻も好きだったのは社会学だったから詳しいことはわからない。

しかしそこに真実があるなら、目を向け嫌というほど考察する重要なのではないか。

どう見るかはその人次第だとは理解している。
パーソナリティやバックボーンが関係していることも理解している。
強要は傲慢だとも理解している。

そしてそれは相手からしたら私にも言えているということも理解している。

そんなことを思いながらギュスターヴ・ル・ボンの群集心理を読んでいる。

写真はNetflixのAnne With An Eより。