「葉子のことを知るのには、10年かかる」

 

ある時、好きな小説家のインタビュー動画を見ているとコメント欄に
“こいつの文章はいつも暗くて病む!気分が悪い!”
とあった。

「...言うてお前ご丁寧に読んどるんやないかい!」
というツッコミと共に、
「お前みたいな人の為に小説はこの世に存在するんだよ!」
と、申し訳ないが大きめの失笑をかます。



またある時、長い付き合いの友人に
「葉子のことを知るのには、10年かかる」
と極めて真面目に言われた。

・やっと理解し始めた(この10年は序章でした)、
・やっと大方理解できた(「大方」の濃度は薄いけど)、
・やっとなんとなく理解できた(と言っておく)、
...等何れなのかはわからないし、
何れでもいいし何れでなくてもいい。
寧ろ私自身が私を理解してるのかすら怪しい。

だけど彼の言葉には私の人となりが十二分に込められている気がして
思わず言葉に詰まった。
皮肉とも受け取れるその言葉が
私には褒称の言葉に聞こえたからだ。



SNSが苦手で、好きになろうと思っても好きになりきれなくて、時代に乗り切れなくて、
これじゃダメだと思って利点を探そうと思っても2秒後には欠点がそれを易々と超えてしまうからやっぱ好きじゃないけどこの仕事をしてたらほぼ使用mustなのも理解度メーターバグるくらい重々×重々理解してるんだけどなんていうかごめん、正直言うとやっぱSNS嫌い。

──なステレオな私だけれど
使用mustなソレに投稿する度、
スクリーン上の私にどこか物悲しさを覚える。

ただ、2秒後には欠点が易々と出てきてしまうソレを通して
良い経験ができたことも事実。
侮れないということも重々×重々×重々、理解しているということも念の為記しておく。



好きな小説家への誹謗コメントと、
「葉子のことを知るのには10年かかる」。
どこがどうリンクしたのかはわからないが、
その動画を見てから2ヶ月、
その言葉を言われて1ヶ月経った矢先
ふと腑に落ち、合致した。

私は、自分を「こんな人間です」と説明ができない。
「就職活動をしなくて本当に良かった」心底安堵してしまうほど、
自分の説明ができない。

だからこそか、
単純なものほど理解不能且つ意味不明で恐ろしいとすら思う。
アンミカさんが「白って200色あんねん!」と仰ったように
単純に簡単に取り繕うなと思う。

なんなら、
単純で簡単なそれをゴリゴリと痛く深く掘り続けたら
どんな悍ましいものが湧き出てくるのだろうとほくそ笑んでしまう。



知ることに10年かかってくれてもいい。
「毎度文章キモい」と思ってくれてもいい。
「てかそもそもお前が理解不能且つ意味不明」と思ってくれてもいい。
私という人間を、誤解してくれたままでもいい。



物悲しさが肌を撫でつつ、
明日も粛々と生きると思う。