土下座はタダだし、泣きながら歩くのもタダだし


帰宅時間の夕刻。 
本能と理性が拮抗していた。
片手にハンカチを携え、
「これは花粉の鼻水と涙」と思い込みながら
本当は涙のせいの鼻水と涙のせいの涙を交互に拭う。

時にふと立ち止まり、
返信しそびれていたLINEを開く。

テキストを打っては消し、打っては消し、
送信したけど長押しして送信を取り消し、
打ち直して送信し、
あーやっぱよくわかんねえや、と開き直り
スマホをポケットに滑り込ませる。

信号待ちをしている間も涙のせいの鼻水と涙は止まらず
青信号になって歩き出し、
向こうから手を繋いで歩いてきたお母さんと子どもの姿に
顔が歪み、嗚咽した。

人気がなくなる路地に入って思う。

プライドとか見栄とか世間体とか見た目とか、
期待とか偏見とか醜態とか、
それさえ脱ぎ捨て放り出せられれば、
土下座ってタダだし、泣きながら歩いて帰るのもタダだ。

この境地まで来ることができたら、
もう私、怖いもの無しの無敵なんじゃないか。

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翌日、バス停で待ちぼうけしていると、
隣にいたベビーカーの男の子が
瞬き一つせず、こちら一点を見つめていた。
あまりに微動だにせず私の顔に穴が空くほどじぃ、と見られてしまうから
思わず吹き出してしまった。

それに気づいたお父さんとお母さんが
他人の顔を一点凝視の息子に焦ったのか、
せめて少しでも笑わせようと
指で口角を上げたり頬をふにふにさせたり。

それでも男の子はピクリとも口角を上げず
一点凝視・泰然自若の肝の座りようを貫いたけれど、
きっと私たち4人は、寒空のバス停で幸せだった。

土下座もタダだし、泣きながら歩くのもタダだし、
無垢なものと泰治した時、
思わず全身の強張りが緩み
尊く温かい幸せを感じるのもタダだし。