小言/ 隠者、雨の音を聴く
同時に仕事でも進展があり、
あれやこれやとあたふたした日々でした。
先月に関しては本も読めないほど頭の中が騒がしかったです。
その騒がしさを掻き消すように、
起きている間はYouTubeをラジオ代わりに流し続け、
YouTubeの気分ではない時は
「本も読めない。YouTubeも見れない。
そんな時は仕方なくゲームだ!」
と引き篭もりっぷりを発揮。
課金をしないだけ優秀!と思える程ずっとスマホとパソコンに逃げていました。
11月に入りふぅと一息吐き地に足をつけられたのは良いものの、
頭の中の騒がしさ・YouTube・ゲームの3コンボ呪縛はそう簡単に解けることもなく、
今こうやって雨の音とお米を炊く炊飯器の音だけでこの文章を打っている自分自身に少しだけ安堵しています。
この5年間、フリーランスとして完全個人で働いていました。
人付き合いも上手では無かったが故、
振り返るとまるで隠者のような生活だったように思います。
コロナ禍にドン被りしたこともありますが、
やろうと思っていた営業活動は一度もやることなく、
SNSでの発信だけを頼りに生活をしていました。
社会を舐めているとも言えますが、文明がもたらした奇跡とも言えます。
ありがとうSNS。
頂いた仕事をありがたく受け取り、真摯に事務作業をし、時に人の力をお借りしながら、やれる限りのパフォーマンスをする。家に帰ってからは再び真摯に事務作業。
その繰り返しでした。
私は履歴書の経歴欄に立派な文字を並べることは出来ません。
「社会人経験......無し」と判断される生き方をしていると思います。
一度自分一人で東京という混沌とした街に身を投げ入れてみてみよう。
力試しの意味でも、経験という意味でも一度社会に揉まれてみよう。
その間に自分をもっと突き詰めていこう。
鳴かず飛ばずで生活が苦しくなったらすぐそこのクリーニング屋でバイトしよう。
そんな思いで前事務所からフリーランスへの転身を決めたことを今でも鮮明に覚えています。
私にとってフリーランスになり身一つで社会に身を投じる行為は、
この世で生きる人間として必要な経験でした。
やりがいがありました。
やりがい、というか必然的に「仕事をこなす感」がありました。
全ての責任が自分一人にかかってくることは特に苦ではありません。
寧ろその方が、人のせいに出来ない分、気が楽でもありました。
「仕事、楽しい。」
「一人でもこんな人と出会えるんだ。」
そんなことを思った時も多々あります。(ありがとうございました。)
でもそれと同時に、
上記の想いの数倍、こちらも必然的に、どうしても湧き出してしまう怒りや不安、猜疑心、焦燥感、使命感と戦っていました。
先述したように、私は人付き合いが上手ではありません。
時に人の力をお借りしながらとは言うものの
心の中の戦いを知り合いと共有することなく、
ただただ山に篭って自問自答を繰り返し、
答えが出ぬまま再び仕事へ向かい、
新たに自問自答を重ねながら答えがうっすらと見えてくる(気がする)。
見えてきた(気がした)その答えも、
私はそう思うだけで他の人はどう思うかなど隠者が故わかることもなく、
そもそも正解不正解など無いので余計に、
「そうであると信じている」と自分を信じたかった5年間でした。
苦しかった。
フリーランス、必要な経験だった。やってよかった。
それでもやっぱり、苦しかった。
最後の方は正直、「仕事が楽しい」なんて思っていなかった。
「仕事が楽しいと感じている自分を信じている」と思っていました。
自分を苦しめていたのは自分でした。
それが一変。
ひょんなことから事務所に所属することになったのです。
冒頭の仕事の進展とはこのことです。
本当に急展開とはこのこととばかりに深夜に情緒が難しくなった9月末でした。
後日、現事務所社長と喫茶店でお話しする機会を頂きました。
ただ、これも先述した通り体調はよろしくないため、薬をぶち込んで。
夫以外の人と会うのも久しぶり。
飲食店に行くのも久しぶり。
会話をするのは夫と近所の野良猫と顔見知りのスーパーのレジの御姉さんくらいしかいなかったこの数ヶ月。
足は動くだろうか、手は震えないだろうか。
息は苦しくならないだろうか。
注文するであろうコーヒーは飲めるだろうか。
そう思っていた気がします。
そして、
そこまで自分を追い込んでいたことに自分が悲しく可哀想にも思いました。
──結果、5時間話し込んでいました。
逆に怖い。
ただただ、話し込みました。
彼女も、お話ししながら私の話を聞いてくださいました。
隠者だった5年間、誰とも気持ちを共有しなかった5年間、
自問自答をし続け答えが薄く出ているけど確信が持てなかった5年間。
自分を信じたかったけど信じきれなくてそれでも信じようとした5年間。
きっと彼女はそんな私を遠くから見ていてくれたのでしょう。(たぶん)
「自分のペースで上手に生きてた」
「強くなったね」
そう言われた時、やっと隠遁場所から顔を出せた気がしました。
隠者生活が嫌いだったわけではありません。
元々大人数より少人数(なんなら一人)、座る席は端っこ、休日は引き篭もり一択に心地良さを感じる性格でした。
何かあっても人に相談することは苦手でした。
愚痴を言うのも苦手でした。
そもそも言葉で何かを伝えるのが苦手でした。
なので隠者生活は私に合っていたと思います。
…そんな私だからこそ、誰かが扉を叩いてくれない限り、
扉を開けようとしなかったのかもしれません。
隠遁拠点地から顔を出すことを、許せなかったのかもしれません。
自分から俗世との関わりを断った、隠者ですから。
ただ、叩かれた扉からの声まで断つことは、
それは隠者ではなく、一種の傲慢にもなると思ったのです。
──まだ体調は万全とは言えません。
上手く付き合っていくことを心に掲げています。
それくらいのテンションが私には丁度いいかなと思っています。
11月になり、今年もあと2ヶ月と言われ、
「おいマジかよ今年早すぎ」と毎年思うことを今年も思いましたが、
それでも明らかに、心の重さが、遠く見える景色が、体に入ってくる空気の純度が、
去年の今頃とは違うのではないかと感じています。
まだ隠者は太陽の光に慣れていません。
外の空気にも慣れていなければ、
雨の音にも慣れていません。
元来隠者体質だったからか「脱!隠者!」とはならない気もしています。
いや、寧ろなったら怖いです。
それでも、開けてもらった扉からゆっくり出て、
俗世を一つずつ一歩ずつ一呼吸ずつ一会話ずつ噛み締めながら、
「楽しみをそっと心に持ち合わせてる隠者」
くらいになれたらいいなあと思っています。