2025、走書



つい最近まで第101回箱根駅伝の復習をしていたはずなのに、翌週に控えた第102回箱根駅伝のために情報を頭にぶち込んでいる年末。

予習が思うように進まず、やっと情報を漁れるようになったのが、実は今日。


この一年は何故こんなに早かったんだろう。

2025年、青山学院大学が大会新記録を樹立したように

一年の加速度がベストを更新した。人生新記録。

歳を重ねる度このまま更新を続けるのだろうか。

言わずもがな、元旦のニューイヤー駅伝も楽しみです。


私の今年の漢字も考える。

「苦」「耐」で迷う。うーん

もう「苦行」「忍耐」の二つでいい。

一文字ですらないけど、いい。

本当に今年は苦しかった。

何度か潰れかけたけど、なんとか耐えた。

屈辱、と言っても過言ではないほどだった。


年齢を恨めしく、過去を後ろめたく、周囲をもどかしく、後輩を羨ましく、自分に情けなさを想う。

心の地下を彷徨い続けたらいつの間にか年の瀬になっていたよう。

苦しいと時間が短く早く感じるのか。


それでも外が寒くなってきた頃には

彷徨いつづけて体力がついたのか、

地下には変わりないけれど昨年の今頃よりも身体が元気になった。

地下の暗さに目が慣れたのか、

昨年の今頃より歩の進め方がわかった。


その最中ぼんやり思い続けてきたことは、

極端に言うと

「これまで私は自分のことしか考えずに済む人生を歩んでいた」

ということ。

抽象的・具象的な意味両面で、生きるも死ぬも自分次第という人生。

幸も不幸も、善も悪も、晴も雨も、白も黒も

全ての責任を自分で背負えばそれでOK。


例えば子どもを産まない人生を選択しそうだけど、

それはそれでヨシ。

でも今年は特に

何かから逃げているような、どこか空虚さを感じていた。


心の地下を歩きながら、体力を取り戻しながら、歩を進める。

これらができたのはもどかしく想っていた周囲と

羨ましく想っていた後輩たちの存在で、

特に何かをしてくれたというわけではなくても、向き合わなきゃと自然に心が赴いていた。

心が赴くことができたのは、

恨めしく想っていた年齢と、後ろめたく想っていた過去があったからでもある。

(もちろん一番近くにいる夫のおかげもある)


昨日くらいに、なんとなく心に灯った。

子どもがいない分、私は人と向き合わなければならない。


自身の子どもでも、子育ては苦しいことの方が多いと聞く。

でも振り返ると全部幸せだったと。

それが血の繋がりのない他人の場合、もっと苦しいのではないか。

寧ろ苦しいは余裕で通り越してもはや魔境に入るんじゃないか。

でも、私はそれをしなければいけない。


人と向き合い、人を想う機会がいずれ訪れる2026年になりそう。

今年の苦行、忍耐はその前触れだったのかもしれない。

地下を彷徨い続けこの先はまだ暗くとも、

明瞭ではない希望も存在する気がする。

そんな予感がする。


・写真は伊織くん撮影。陸上部茶会にて。

・これまで使ってたフォントが消え、なるべく似てるフォントを選んだけど、慣れなくてキモい。