緑が豊かな日

 LINEに自分の誕生日を登録していたのか、その日が来ると「誕生日の友だち」と名前が表示が出ていた。
それが今年は表示されなかった。

いつの間にか私はその人の年齢を越した。
しかしあれが何年前の出来事だったか、少しずつ明確に答えられなくなる自分が居る。
私は何歳だったか。
その人は何歳だったか。
とうことは二千何年の出来事だったか。
日付は10月?11月?二十...いつだっけ。

確実に、着実に、過去の事となっていく。

そして今年は「誕生日の友だち」と表示されないことに気づいた。
亡くなった人のスマホが解約されると、電話番号と紐付けられているLINEも(当たり前だが)履歴が削除されてしまう。らしい。
念の為登録されている「友だち」内で名前の検索をしたが、「検索結果はありません」と表示された。

きっとご家族が解約したのだろう。
ずっと故人のスマホを持っていたとて、何らかの方法はあるかもしれないが、機種使用のお金はかかる。
遺品を少しづつ片付けるように、スマホもその時が来たのだろう。
心の奥底の片隅の小部屋で呟く。
でも同時に、心の奥底の片隅の小部屋で少しだけ項垂れる私もいた。

確実に着実に過去の事となっていく。
私もそうだけどみんなもそうだ。
決して悪いことでも悲しいことでもない。
年齢を忘れても日付を忘れても事実を決して忘れなければきっと良い。
全てを忘れる時は、ガチで私が記憶障害になった時。
それか死ぬ時。

少しだけ項垂れてから前を向き、夕食の献立を考える。