この初春



山茶花と椿の見分け方を知らなかった。
毎年冬に見ていたはずの鳥の名前も知らなかった。
この池の正式な名前も、見慣れた花壇の花も、
意味はわかるという理由で読み飛ばしていた熟語も、
ボルシチが元々ウクライナ料理だったことも知らなかった。

私の知識や教養の問題だけでなく、
もっと言えばいつも近くにいてくれる人が本当は何を想っているのかも知らない。

全てを知ったところで正解ではなく、
知らないことが不正解というわけでもなく、
でも視界に入る全てが私を成す一つ一つだと何処かで思っていた自分が、
とても愚かで悲しくなる瞬間に、この初春、よく巡りあう。

知れた時の安堵と知らないままでいる安堵、
心地よく生きるための術か、ただ都合が良くなっているのか。

こうやって少しの希望と灰色の暗流を感じながら、この初春、生きている。