手の届かない嫉妬
屋外の湿気から隔離された涼しさの中で一息つき、駅へ向かい歩く人、自転車をかっ飛ばす人、子どもたちを連れる親御さんを眺めながら本来歩むはずだったもう一つの世界線を考える。
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「電車が苦手」という理由でタクシーを使ってしまう私にその世界線はあり得たのかそもそも怪しいけれど、
太陽に照らされながら過ぎ行くその姿等を羨ましくも想い、悔しくも想い、「私の移動は涼しいです」とほんの少しだけドヤってみても、やはり残るものは彼等への生温い、手の届かない嫉妬。
視線を落とし、スマホを鞄から取り出す。
おとなしく昨夜返しきれていなかったメールの文を作る。
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せめて帰りは電車で帰ろうと意気込んで潜った地下鉄の改札。
それも束の間、列車は見事に帰宅ラッシュアワーと重なっていて、
乗り込んではみたもののたった一駅で再びホームへ出てしまう。
息絶え絶えに出口を探す。
たどり着いた階段下から地上を見上げると、「明日は絶対晴れます」を告げる夕刻のピンクと青。
駅へ向かう人々からは逆走しているし、
ピンクと青を眺めながら歩いているし、
オフィスカジュアルから程遠い服を着ている私は、やはりもう一つの世界線からは程遠かったんだ。
おでこから滲む汗が、露出した肌を纏う湿度が、ヒリヒリ痛む靴擦れが、逆にもう清々しい。
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タクシーに素早く乗り込み目的地を告げると、
普段はほぼ無言を貫くタクシー内だけれど、ひょんなことから運転手さんと話が弾んだ。
偶に出会う、「人の心に程よい距離を保ったまま嫌味無く入り出ていく一期一会タイプ」の人。
故郷の話、住んでいる街の話、祭りの話、数十年前の街の話。
共通点がやたら多く、(プライバシーに気をつけつつ)柔らかい約30分の道中。
私にもう一つの世界線はあったのだろうか。
あったとしたら、私はこうやって柔らかい時間を過ごせていただろうか。
朝はちゃんと起きれていただろうか。
電車はちゃんと乗れていただろうか。
仕事は毎日通っていただろうか。
結婚していただろうか。
子どもが欲しいと思っていただろうか。
何かへの生温い、手の届かない嫉妬を覚えていたのだろうか。
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タクシー内からいつの間にか濃紺となった下に身を出し、
私はこの世界線でいいのだと思い直す。
「でも、」と続く言葉はこのまま閉まっておくことにした。
きっとこの濃紺の下に居る人全て、それに気づきながら、耐えながら生きている。