Don't get too comfortable.


謎の胃もたれと屋外の暑さに辟易しながら、
近年恒例「ただの一日」として過ごした誕生日から早一ヶ月。

朝起きて、ヨガをして家事をして、本を読んで筋トレをする。   
区中に響き渡る夕方のチャイムを合図にスーパーへ食材の買い出し。
五時と言えど空の下はまだ日が強くて黄色くて、コンクリの上は充分に蒸されていて、
数十分の徒歩ですらじんわりと汗が滲む。

それがちょっと気持ち良く感じるのは、少しずつこの暑さに慣れてきてしまったからだろうか。

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可もなく不可もないこの生活。
きっとこれが一般的に言われる「幸せ」なんだろう、と ふと思う。

「私はとにかく“普通”に生きたい」と昔友人が言っていた。
「少しの良いことと、それと同じぐらいの量の悪いことは素直に受け入れる。
でも、その他はもう普通でいい。何事もなく無事に、普通でいい」。

十数年ぶりに蘇った彼女の言葉に妙に納得すると同時に、それに抗いたい自分が直ぐ背後に居る。
彼女の言葉は人間の心としては全てを理解できる。
けれど私の身体は、どうやら、何故か、全ては受け付けられないようだ。

この背後の私は、いつ今のこの私をぶち抜いて進んでくれるだろう。
そんなことすら小さく願ってしまった。

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Amazonから届く本たち、書店で買った本たちは、
読んでも読んでもどんどん忘れる。
映画もそう。観ても観てもどんどん忘れる。

どんどん取り込んで、どんどん忘れて、
(情報や知識としてインプット、アップデート等されるものはあるにしても、)
殆どは手元からさらさらとこぼれ落ち、結局残るものは極限られている。

手元を確認する度、私の軸は、大切なものは、残るものは、ほぼ変わっていないと気づく。
本や映画に限った話ではない。

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数年前から言っていることは変わらないし、
こうして書き留めている内容も、悲しきかな、一貫して同じ。
代わり映えがなく如何なものかと思いつつも、嘘は書きたくない。
でも少しは楽しいことも書けるようになりたいな。←

慣れるな、馴染むな、染まるな。
そんな35歳になりそうです。