反省と誠実 前編

近所の地域猫、サンちゃんが亡くなったことを、
彼の本拠地とされるお宅前の張り紙で知る。

地域猫とはいえ、
見ているこちらが心配になるほどの人懐こさからか多くの地域の方が彼の死を悼んだのだろう。
サンちゃんの写真が載せられたその貼り紙の前には沢山のお花、そして(何故か)お菓子が手向けられ、彼の16年という時間の深さを想うと共に、彼の生き方に憧れている私が居た。

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ここからは敢えて、ほぼ同義という意味で「地域猫」ではなく「野良猫」と言う。

野良猫で、16年はかなりの長寿。人間でいうと80歳に相当する。
しかも「この辺りに現れ始めたのが約16年前」とのことなので、
実際の年齢はもう少し上だと推測する。

本拠地はあれど決して住み着くこともなく、
姿が見えない日が続くことは珍しくない。
その人懐こさから優しい人に何度か拾われていったこともあったそう。
しかし数日後にはそのお宅を抜け出し本拠地近辺に舞い戻り、
探しにやって来た優しい拾い主も「流石に敵わん」と連れ戻すことはなかったとのこと。
きっと危険な目に遭うことや、
彼の存在を良く思わない人々も居ただろう。
それでも16年もの間、野良として生きることが彼にとって心地良い生き方だったのだと、野良だとしても確実に愛している人はいたと、
亡くなってから1ヶ月以上経っても減ることないお花(とお菓子)の多さが教えてくれる。

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猫は本能の動物だ。
好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。
甘えたい時に甘え、
離れたい時に離れ、
吐きたい時に吐き、
寝たい時に寝る。
しかしそれらはその時の気分にもよるという難儀。

他者の目を一切忖度することなく、嘘が無く、全てが本能に準じていて、見ていて気持ちが良いほどの動物である彼に、
「その生き方も悪くない」と、休養中で、来年以降の自身の生き方を考え連ねている、人間という動物の私は思っていた。

たとえ死後花を手向けられなくても、自身の本能に従順でいる野良でいい。