反省と誠実 後編

 

タイトルの「反省と誠実」は某寺院を訪れた際に説明看板で見かけ、今年一年を残酷なほど集約してくれた言葉だった。

大晦日の今日、多くの人が一年を締め括り来る年への希望の言葉を揃える中、私はどうしても心から素直にそう言えない。


私はこの一年、誠実でいれたのだろうか。
家族、夫、友人、仕事、そして自分、社会へ。

そしてあなたはこの一年、其々へ誠実でいれたのだろうか。


他人の心配するなど烏滸がましさと失礼の極みだと理解はしていても、
虚構万歳のスマホを握り締め、
嘘を嘘と見抜く力を試されるネット社会で、
情報に四方を包囲された世界のもと生身の身体を生かさないといけない苦しい世界で、
もう二度と会うことがなくてもおかしくない世界線を共生する中、
私もその一員であると考えると、どうしても同時にあなたが切り離せない。

改めて広辞苑で調べると、
誠実とは「(他人や仕事に対して)まじめで真心がこもっていること」。

「あなた」と事象を特定せず大まかに言ったが、全ての根源は私だった。
渦を巻いて共に堕ちることも、逆に、昇ることもできた。
よく見聞きする希望たちも、まるで恥部のように隠された失望も絶望も、人間らしくて好きだった。