それは癒しなのか、赦しなのか

 

駅の階段を降りると
エントランス越しに陳列された緑。

歩みを止めることもなく、
気づいた時には吸い込まれるように店内に入っていた。

「なんでそんなことできる?」

そんなことが朝から立て続けに勃発していた。

考えが巡りに巡ったが、
感情にラベルをつけているのは自身だ。

一つの緑を手にし
共に帰宅した。

「わかりやすく癒しを求めている自分笑う〜」
と緑片手に電車に乗り込んだが、
これは癒しなのだろうか?

“癒し”という括りで終わらせて良いのだろうか。

寧ろこれは、
自身と、その他者に対する
赦し、容赦なのではないだろうか。

“「他人に対して悩む時間なんぞ勿体無いよ。
今頃その人、あんたのこと忘れて
笑いながらパフェ食べてるよ?w」”

理解はするも受け入れ難かった言葉が
10年ぶりほどに蘇る。

諸行無常。

明日にはさようなら、今日のあなた。
明日にはさようなら、今日の私。