Soliloquy, Stupidity, and the Reality of Me

 


メインアカウントの方でもお知らせをしましたが、
今月から東京アナログさまのwebsiteにてエッセイが発刊されることとなりました。
こちらのサイトは2ヶ月に1度のパブリッシュなので、
次回は11月の予定です。

エッセイは書き下ろし、こちらはこちらで進めていく予定なので、
(興味がある人は)お楽しみに。


タイトルの【Soliloquy,  Stupidity, and the Reality of Me】は、
こちらのブログで付けがちなタイトルから由来したことと、
そもそも何故だか【Soliloquy】という単語がとても好きだったことからつけました。
talk to myself,でも,think out loud,でもなく, Soliloquy。


メインアカウントにも書いてありますが、
モデルも書くことも、私にとっては安定剤のようなもので、
ただその安定剤を生業とするとなると、生きること自体の危うさのようなものも同時に漏れなく付いてきます。


しかしながら、そして残念ながら私は、所謂一般的な社会で働くことは難しい人で、
月〜金毎日、決まった時間に、同じ場所に出勤して仕事をするという
社会人の基本であろうことが、できない。
20代の頃、何度もそれをアルバイトで試みようとしたけど、
「給料いらないから今直ぐやめさせて欲しい」と言い放ったアルバイトは数知れず。


給料なんて本当にいらなかった。
一度自分を潰してしまった人にはわかる、限界と危機。
身体の中からこみ上げてくる熱いのか冷たいのかもわからない得体の知れない波は、
確実に私を侵食していった。


そうなってしまうぐらいなら、
お金なんてまじで要らないし後々立て直すことはできるから、その場から逃げるという選択をした。


そんな私を理解する気すらない人、
理解してるフリは上手いけど全く理解していない人、
人間はそういうものだと達観して見守ってくれる人、
様々だった。


決して私を全員理解しろという我儘ではない。
賛否両論があることはわかりきっている。表現とはそういうこと。


今回のこのエッセイは何かに対する、
大袈裟に言えば「警鐘」、面白く言えば「文句」、ただ一部の人にとっては「安心」でありたいと思い寄稿します。
そういう時代だと私は思うから。


モデルの方も、そういう時代にきているなと思います。
ずっと感じていた違和感を、色々変えていきたい。
「変えていきたい」ことを考えれば考えるほど、
「大人って怖いなあ」とも思います。


ps エッセイのタイトル、気づきましたか。全部音終わりが「e」なんだよ。
フリースタイルダンジョンみたいでしょ。