過程/3年目突入のご挨拶

 


富士屋カツヒト/ 川下剛司「19番目のカルテ 第1話 なんでも治せるお医者さん」より

私は医者ではないので"病"を"診断"することはないけれど、
普段お仕事で現場にいる時、上記の"病気""病""診断"を別の言葉に置き換えて、
この人はどんな人なんだとこっそり考えながら生きています。

こんなことをこっそり考えていてもぶっちゃけ(ぶっちゃけなくても)仕事には必要無いことではあるのですが、
きっと「仕事」を「仕事だけ」にしたくない性分が出ているのでしょう。
それはもっと深く掘り下げると、自分が社会で生きていることを確かめたい、ということでもあるかもしれません。言葉を変えると自己満足ですね。

いつかのdiaryでも書いていたかと思いますが、
私は、いずれ私の職業は人間がやらなくてもよい世界になると思っているので(AIで充分説)、そうなる前に、人を考えたいのでしょう。
今以上に、もっと空虚になってしまうのが怖いのです。

そういえばコロナ禍となってからはプライベートでも同じことを考えるようになりました。
それぞれ意見も考え方も違って、世界はそれで成り立ってるから強要されない限り別に良いのだけど、
何故彼は/彼女はこういう考えになったのだろうと思った時に、その人の過去を見るようにしています。その人を成り立たせたものを見ています。
イレギュラーもありますが、なるほどね、となることが多いです。

先程"自己満足"という言葉を出しました。
虚しい自己満足とそうでない自己満足があると思いますが、
その人を想像することはこの混濁した東京を生きる上で、私にとってはですが、必要なスキルでもあります。
余談ですが先程お散歩している時、交通整備で自身の車を止められた運転手さんが車の中で「早よ行けやコラァ!!!!」と叫んでいました。車の窓は閉まっているのに歩道の私に聞こえるほどの声で。
それを見た私が「うわ、怖」で終わらせるか「うわ、怖。余裕なさそう疲れそう」と思うかで見える世界が変わってくる気がします。
勿論、「うわ、怖」で終わらせるのも生きるスキルの一つですが。

この仕事において、この業界において、
私はそれまでの結果よりも、それまでの過程を知りたいタイプです。
(IT系は結果が重視されるかもしれませんね、知らんけど)

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「普段のお仕事」といえば、
フリーランスになってから丸2年が経ち、3年目に突入しました。
お仕事のご連絡をくださった皆様、いつも相談に乗ってくれる親友、良い感じに見守ってくれてる家族と、良い感じに私を放牧してくれている夫。ありがとうございます。

3年目も「この人どんな人なんだ」とこっそり思っていますが、あまり気にしないでください。

今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。