バイブル・ワード
私の座右の銘の一つは「メメント・モリ」なのだけれど、
日本に於いてこの言葉は、どうやら、何故か、ちょっと厨二感を滲み出してる風潮があるようで、なんだかなぁと思う。
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メメント・モリは大学時代、一番お世話になった教授から、最後の講義で私たち学生たちに向けた餞の言葉だった。
学内で二番目に広い教室内は学生たちのおしゃべり声で騒ついていたことを覚えている。
私はその声たちに揉まれながら一人で講義を受けていて、
教授はそれらを注意することもなくゆっくり、淡々と話していて、
そして偶に目が合うような気がして、
喧しいはずなのに静かな時間にも思えて、
まるで「受け取る人だけ受け取りなさい」という、
見返りを一切求めない、愛ある、尊厳ある、孤高の餞の言葉だったように思う。
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先日、写真展に置かれているフライヤーの中に、文字に起こされたこの言葉を見た。
恵比寿で開催しているらしい。
「いつ行こうかな」と思いながらなんとなく、教授は元気だろうか、と名前を検索すると、
私が卒業した5年後にご病気で亡くなっていることを知った。
そういえば、退任されたという記事の微かな記憶が急に蘇る。
そこから病気が進行したのか、もしくは病気が発覚して退任されたのか、
それはわからないけれど。
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10年以上も時間が経てば、年齢的には若かったとは言え、死という節目があってもおかしくはない。
寧ろ変わらず在り続けることの方が奇跡だとも理解している。
でも、この間にどれだけのエッセイ、専門書、小説を読んでも、どうしても拭い去ることのできない言葉がある。
それが自身においてのバイブル・ワードとなること、
私のルーツとなった言葉に出会わせてくださったこと、
そして今は仕事に於いて新たな側面でこの言葉を考えることになるというphaseに入っているということ。
蒸し暑い7月の終わり。