「ご遺体は目に焼き付けるものでしょう」
ご遺体に限らず私は割とこの考えのタイプで、
記事を読んだとき湯船に浸かっていた私は、そのままお湯に溶けていけそうなほど妙な安息を感じた。
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相変わらずスマホのカメラ機能の使用頻度が少ない私。
使用したとしても大量選択して一気にデリートしてしまうような、
2022年を生きているとは思えない、側から見たら物悲しい人間だ。
残るのはほんの数枚。
普段撮られる側の仕事であるからこそ、そう思うのかもしれない。
記憶するために目に焼き付ける。
メモのように使用されるカメラ機能に甘んじていたら、
どれが本当に忘れたくないものなのか、わからなくなってしまう気がする。
写真を生業にしている人、資料用に写真に収める人はまだしも、しかしそこにも其々の哲学で意見は分かれるだろう。
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蓋棺の時、
顔が見られる最後の時、
皆が棺の周りで声を上げて泣き伏している時、
皆から一つ距離を置いて、その最後の最後まで、「絶対にあなたの顔忘れないから」と唇を噛んで目をかっ開いて、蓋に隠され行く顔を見続けていた。
残ったほんの数枚でも充足を感じる。
お湯に溶けていけるぐらい滑らかになる。
11月。