花すら買えなかった何者


なぜ買おうと思えたのか。

思い立ったのは胃痛からの解放からだったのか。

じゃあ、その胃痛の根源は抑も何者だったのか。


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植木鉢用の苗ポットを見定めるご夫婦、

新たな苗ポットを威勢よく陳列するスタッフさん、

「どれがいいかなぁ」とベビーカーに乗せた子どもと一緒に悩むお母さん、

恐らく日課なのだろう、仏花をまとめて素早く手に取るご老人、

生花教室に持参して行きそうな立派な枝葉と鮮やかな花を腕いっぱいに持ったご婦人等が色と香りに溢れた花屋を更に賑やかにする。


数ヶ月ぶりにその花屋に恐る恐る足を踏み入れた私の周りだけ、時間も音も空気も身体も止まっていた。


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手に取った3輪の花を右腕で抱きかかえるようにして花屋を出る。

風が強く、腕の中で包装紙と花が靡く。


人と車の割合にしては窮屈な交差点で信号待ちをとき、

「花は、人間と一緒で生物(なまもの)だから」と花屋で働く友人の言葉が蘇った。

その言葉に強烈に惹かれると同時に、そこには尊厳のような、恐怖のようなものも確かにあった。


── 彼女の言うように自分を個体の「なまもの」として考えたとき、

なまものの腐敗は知らぬ間に進むことに気づく。


腐敗に侵されていることを、盲目が遮る。

都合のいい逃避場。

願望、羨望、期待、目を背けたくなる今。

居続けていたい白昼夢。


ある日、艶やかなみかんの底面がグチュグチュに腐っていることに気づき、急いで捨てた自分と照らし合わせる。

抑もそんな腐敗してるなまものが「なまもの」を扱えるはずがなかった。


──右腕に抱きかかえた3輪は花でありながら、

もしかしたら他の何者かだったのかもしれない。


腕の中を守るように歩いた。


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風と腕の力で形が崩れた包装紙をきれいに解き、玄関とリビングに花を置く。


自分で買い、自分で飾ろうと思えた自分に少しだけ救われる。

救われると共に、買おうと思えなかったこの間の自分を悔やむ。


少々の安堵から、緩いため息をつく。

おやつ用に手に取ったみかんの底面は腐っていない。


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花屋でベビーカーに乗った子どもは、お母さんと選んだ大ぶりの花弁を備えた一輪の花を手に持ちレジに並んでいた。
「私がレジの人にはいどうぞするの」、と言わんばかりに力強く握っていた。

とても微笑ましく思わずマスクの下の口角が上がっていた。
どうかあなたはそのままでいて。と心で呟いていた。