新年度前夜
お会いしたことはないのだけれども、
そしてきっと皆さま同じ感覚だと思うのだけれど、
志村けんさんの訃報はかなり身にこたえた。
嫌な予感はしていたものの、
朝起きて訃報を知り、朝ごはんだけ食べて布団に戻り、一日寝込んだほど。
お会いしたことないのに、なんとまあ知ったような口を、、と思うかもしれないが、
まず、とても近い業界から感染者が出たということ、
それが日本国民なら誰もが知っている大物だということ、
そしてなによりも、″その日″があっという間に来てしまったということ。
″覚悟″をする時間が、無かったということ。
時間ががっぽり抜けて2年前にぴったり戻って、知らせを受けたその時の感覚に似ていた。
だからだと思う、居て当たり前の人が突然居なくなる、お会いしたことはなくとも衝撃が強すぎて、まるで全身の血が止まったような。寝込んでしまったのは。
そして今日、
ご遺族は感染のリスクがあるため棺を開けることができないまま、最後に触れることができないまま、志村さんは荼毘に付されたというニュースを見た。
あの一枚の棺の壁は、近くにいるのにとても遠く感じさせる。
もうここには居ない、という見せしめのよう。
そして荼毘に付されるまでの時間はさらに早く、気付いたら覚悟なんて実感なんて信じることなんてとてもできなくて、
「ご遺体」と言っていいのかすら、ニュースを見ていて疑問に思うほど。
本人ですらコントロールできないその時を他人が覚悟することなんてまず無理で、
少しでもその猶予があったとしても、まして不慮の死なら尚更、そんな想いは置いてきぼりになる。
Instagramのメインアカウントかこちらのアカウントか忘れたが、
「もう2度と会わないであろう良い思い出の人も良くない思い出の人も、とにかくどこかで元気に生きてくれればいい」
とpostしたことがある。
たとえ″その人″と会えていたとしても、その時は覚悟する間もないほど突然やってくるかもしれなくて、現にそういうこともあって、
会えていても会えていなくても、それを祈るしかないと、改めて今、追記しておく。
私は恐ろしいほど不器用なので、また自分の身に同じことがあったら次はどうなるかわからない、と悲しい自負をしている。
前回は他にも多々重なったのもありメニエール病になるで済んだが(これはこれでだいぶきつかったが)、次は背負いながら生きることができるだろうか。
もしかしたら、というか、きっとそうなんだろうけど、人一倍私は、喪失感が怖い。
「重いし、まだ熱い」と
骨壺を持った志村けんさんのお兄さんが仰っていたが、
そこに含まれる意味はとても痛々しく、でも綺麗にも感じた。
時間が経っても拭えるものではない、と知ることができた志村けんさんの訃報。
先程も書いたように、ご冥福をお祈りいたします、と言うのすら疑問を感じる。
身をもって理解できるまで時間がかかる、ということは知っていたはず。
そんな新年度前夜
#hakodiary