32歳マインド、32歳フェイス(現実)


ゆるりと社会が動き出し始めていて、
そんな私もゆるりとお仕事が再開し始めてることは喜ばしいことだが、
お正月の初売りと一緒で「理由はなんであれなんか特別感がある日」あたりは大体その人間の本来の姿が見ることができて面白い。

名古屋時代、百貨店でアルバイトをしていた私は初売りのその日、私よりも先に百貨店周りをぐるりと囲む長蛇の列に度肝を抜かれる。ワイ、早番。早番の私より早い人々と、人々を横目に申し訳なく思いながら従業員入口小走りするワイ。

開店を待つ人々を考慮し、開店時間を急遽早め、開店の音楽とともに人々が雪崩れ込む。
私は上階で勤務していた為すぐにお客様の姿は見ないのだが、

ビルごと揺れるんですよ。お客様が雪崩れ込む、揺れ。ここ5階やで、、。(7階だったかもうろ覚え)

ああ、皆んな(お客様)必死だ。
そりゃそうだよね、初売りだもん。特別な日だもん。安くなってるし、新年だし。
お目当てのものも少なくなるし。良いものも先になくなるし。

と思っていたらじわじわと私が働くの階にもお客様がいらっしゃり、その数十分後には畳みと接客とお会計作業で白目剥いて必死になってるんだけどね私が。息するの忘れるぐらい。

おかげさまで私が働いていた百貨店は、売上、大盛況でございました。
ありがとうございました。



そう、最近はそんな特別な日になんとなく似ている。
想像してほしい、数字がかかった特別な日、我が我がと思うままに動く背後には必ず影があり、必死さが故その影には自分では気づくことができず、影が故足場がどうなっているのか確認することも忘れ、もし万が一何かがあった場合、それをリカバリーできる体力が、その人にはあるのだろうか。なにせ、本人は必死だ。
恋は盲目とはよく言ったもので、フラットな状態では見ることができるものが、
本能に突っ走りすぎると不思議なことに、それが見られなくなる。
見られなくなるのか、はたまた見えてはいるものの見えていないふりをしているのか、それは疎かにされているということなんだけど。



トイレットペーパーが街から消えたとき、
「知識は時に生死をも分ける」と友人と話していた。

強制的に休暇を余儀なくされて約1ヶ月(私は2ヶ月だったけどな)。仕事がゆるりと再開し始めているいま、休暇前の状態へ戻そうとするいま、生き残るために必死ないま、
前しか見えていないが故視界に入っていないであろう背後と足元を何かに襲われないようにしなければならないな、ととても思わされる。

勿論元に戻すことも重要なのは十二分にわかっている。多少の無理は必要なのかもしれない。
が。が、です。が、なんだがな(軽いゲシュタルト崩壊)
「安全第一」の後に続く言葉知ってますか?
「安全第一、品質第二、生産第三」です。



これは知識に当てはまるのかどうかは微妙なところだが、
走ると躓くことすら忘れてしまいそうだ。
後になって綻びに気付いて苦しむのは結果自分だと、戒めのように唱える。

唱えながら、このゆるりと動き出す社会を遠くから眺めています。

とても面白いです。

写真がないのでポラでクライアント様に送った写真でも貼っておきます。
今日の私。
眉毛の長さが左右違うのは、中学の時眉毛を細くしすぎてその後生えて来なくなった結果です。

今になって綻びに気付いて苦しんでいます。悲しみ〜