深夜のTwitter徘徊 前編
鬱って自分でどうすることもできないよね〜、
「気の持ちようでなんとかなる」もわからなくはないけど、
その気を支えている自分が脆く薄くなってしまっていることに自分が気づかないから、
本来なんとかなるものも、なんとかならないのよ。
「やばい」と自分で気づけるうちはまだ良い、
本当に「やばい」人は、気づかない。自分がそこまでの状態になってしまっていることに。
きっと本来は自己肯定感が他人より強いが故、他人と比べてしまう節があり、
その節が落差を広くしているんだろうな。
自己肯定できるようになる活力の素は人それぞれだが、
脆く薄くなってしまったものを本来の形に少しでも近づかせるためにはやはり周りのサポートが必要で、
しかもそれが自分のリズムに合っていないとうまく合致しない。
あとは自分も、本来の形に少しでも近づかせよう、と言う燃料を持ち合わせてるかどうか。
持って生まれたパーソナリティも関係してくるけども、
それを誇りに思えるかどうか。
...だいぶ難しいけど。
斯く言う私も。