追想、追憶、25歳
たまにやってくる複数モデルでの撮影。
はて、私も少し前まで25歳だったはずなんだが、や、もっと言えばもうちょっと前まで「ハタチです!」と答えていたはずなんだが、どう考えても時間の経過がおかしい。絶対どこかで歪みが生じているはず。。
25歳の彼女と並び、カメラ前での彼女の動きを目線はカメラのまま、視界で様子を伺う。
私も当時は、こうだったかもしれない。
フレッシュさが脱げ、技術と見え方をカメラ前で同時に模索する、そして自分の主張も忘れない、一段上に登り、さらに次の一段の足の踏み場を見つけ出そうとしている。
お人柄もあり、彼女の言葉は純真無垢で、瞳は真っ直ぐ前を見ていて、でも何処かもどかしさも伺えて、歩み出した女性像に遠い不安を感じさせる。でもその不安は、美しくも見える。
それらが私を8年前に引き戻す。
若い子たちが育っている姿を見ると、やはり時間の経過に絶対どこかで歪みが生じているようにしか思えないが、
その間きっと私もどこかで生きていたんだろう。
年上の先輩方に、同じようなことを思わせていたのだろう。
「ハタチです!」と言っていたときは、ただのクソガキで遅刻常習者の私に周りの大人は困っていただろう。(ごめんなさい)
ちゃんと生きていただろうか。
なにをして生きていただろうか。
ちゃんとカメラの前に立てていただろうか。
真っ直ぐ前を見ていただろうか。
ちゃんと話せていただろうか。
大丈夫だっただろうか。
カメラの前の彼女がやたら眩しく見えた。
時間が早い。
偉そうに彼女を考察する私は、
ロケバスで爆睡している33歳、体力減退進行中。