武装-2 後編

 「環境的に厳しい撮影の方が生きてる心地するじゃないですか笑」
と言った自分を思い出す。

食欲もなく、
インスタを見ても面白くなく、
スマホゲームも上手くいかず、
お風呂に浸かりながら本を読んでいたら涙が止まらなくなった。

まだ現場の残像とそこの時間の粒子が体に残っていたらしい。
「死」を連想させる文たちを読んでいたら、
汗か涙か分からないほど水がボロボロと落ちた。

「環境的に厳しい撮影」が「生きてる心地がする」はなかなか危険な言葉だと自分で思う。
前者中はエンドルフィン、アドレナリン、後者は中毒性の高いドーパミン。
撮影中の私はまさにこの流れに嵌ってしまっている。


ただでさえ常に「死」が脳内に張り付いていて、
その時でその濃度は濃くなり薄くなりしているのに。
残像と粒子が体に残っている、
その折に連想させる文たちを目視してしまったからか、吸い取り過ぎてしまった。
無意識だが「生きている」と思ってしまった。
もしかしたら「生きてしまっている」かもしれない。



胃が疲れるほど泣いて思う。
仕事に生かされてしまっている。