まじ男(本名は覚えていない)



●今日という日をおそらく東京都在住30代女性の枠でトップ50に入るぐらい堕落して生きてしまって流石にちょっと勿体ないと思い、
何故かふと思い出した大学時代のことを書こうと思う。


そもそもなんで思い出したんだろうと記憶すら曖昧な堕落日を頑張って脳汁絞り出してみたところ、
snsで映画の宣伝が流れてきて、「死んだはずの恋人が突然戻ってくる」というuplinkさんで公開予定の映画のpostを見たからだと思うんですね。

一応予告編をYouTubeで見て、
ああこんな感じで泣いてたかも、とか
ああ同じようなこと言ってたかも、とか
登場人物との条件全てが全て当てはまるわけではないけども、
久しぶりに、血が止まる感覚を覚えた日に記憶が戻っていて、(静かに察してください)

そんなことが堕落日の昼にあったから、
連鎖して大学時代のことを思い出したんだと思う。
という次第です。



●たぶんあれは大学2年だったんだけれど、
大学に行くために電車に乗ったのはいいものの、当時体調と気分が思わしくなく、
その日も途中で下車して折り返して帰宅しようとしていた日のこと。

地元の駅について、「なんでこんなに体調悪くなってしまったんだろう」と、自己否定しながら駅のロータリーを歩いていたら、

ロータリーに止まっていた車から男の人が降りてきて声をかけられた。
「ちょちょちょ、お姉さん何してんの!」と。
(これ書きながら思い出し笑いしてる今)

体調も悪いのも重なり、
こんな田舎で雑なナンパしとんじゃねえよ声かけるやつ間違っとるだろどんな趣味だよ(当時私は川久保玲の髪型をしていた)と思いつつ
「帰るだけ」と言い放ち立ち去ろうとしたのだけど、

「まじで!ごめん俺今友達迎えにきたんだけど友達が30分ぐらい遅れるとか言うもんで一瞬暇じゃんね、ちょっとドライブ付き合ってくれん?まじ30分!まじ30分だで!」

と「まじ」多めで言われてしまい、
こいつアホだな、と思いつつ
当時体調と気分が思わしくない+半分頭がすっ飛んでいた私は
「30分な」と了承し、会って数分の見ず知らずの男の車に乗るという、
今考えると超命知らずで超危険でレイプされても殺されても可笑しくない行動をとってしまった。


この男もアホだが、私も同レベルでアホだった。



●車内の会話は当たり障りのない話から始まった。
名前はもう忘れた。顔ももう忘れた。
とりあえずここでは「まじ男」と呼ぶことにする。

名古屋市内に住んでいる20代そこそこのまじ男は、その日仕事が休みで私が住む市の友達と遊ぶ予定だったがその友達が遅刻、ここまで来たはいいものの時間を潰せる場所がどこにあるかなどの情報が全くなく(当時はまだガラケー)どうしようと思っていた最中、
川久保玲ヘアをした私がのこのこ(本当はとぼとぼ)歩いていたので暇潰しの相手として声をかけた、という流れだ。

相手は社会人、私は大学生、しかも会ってまだ数十分。
どんな会話をしたか、詳しくは覚えていない。
が、初対面とは思えないほど普通に会話していた記憶がある。

まじ男は、理学療法士だった。
私は大学で社会心理学を学んでいた。
病気や病院、心理状態、治療、投薬、
そんな会話をしていたんだと思う。
理学療法士がどんな仕事なのかよくわからなかったが、
体調と気分が思わしくなかった私にとっては逆に、苦ではない会話だった。



●会話の流れから、死の話になった。
病院勤務のまじ男は、理学療法士ではあるが、生死が繰り返される現場にいる。
相変わらずどんな話しをしたかは詳しくは覚えていない、ただ、まじ男は
「長生きしすぎるのも、辛いよ正直」
と言っていた。それだけは、今でも忘れられない。

当時どうやら「普通」ではない考えと「普通」に対する違和感を持ちながら思い詰めて生きていた私を肯定してくれるような、
苦しくも鮮明で、衝撃で言葉が出なかったほど。

私が小学校6年の時になくなった祖母は心臓が悪く、ペースメーカーを入れていた。
ペースメーカーを心臓に入れてからは元気だったが、
ある日突然、発作が起こりその日のうちに亡くなった。祖母に最後に会った日から、3、4日後のことだった。
祖母はまだ若かったが(当時今の私たちの母親ほどの年齢)、私にとって初めて「人が死ぬこと」が身近に起こった。



「その年齢はまだ確かに若いね。病院にもいるよペースメーカー入れてる人。
だけど、80、90のおじいちゃんおばあちゃんがペースメーカー入れてまで生きようとするの。生きようとしてるのか、生きさせようとしてるのか。」




●まじ男は最初の約束通り、30分で駅のロータリーに私を帰してくれた。
「付き合わせちゃってごめんねー、ありがとー楽しかったー気をつけて帰ってねー」
と。
初対面の人と車に乗りながら、初対面とは思えない会話をした。
更に私の違和感を肯定してくれた。




携帯の番号もアドレスも交換していない、
今となっては顔も名前も覚えていない。
が、この時のことは、
私の中では今でもいろんな意味で衝撃的で、今の私を創り上げるきっかけの序章の一つだったのかもしれない。




病院勤務なのにそんなこと思っちゃうの、とかそういうのはいらない。
一個人として、病院勤務である前に人として、
彼の考えは素直なもので、正解不正解などは無い。





私は、いつまで生きられるのやら。
まじ男は一体、誰だったのやら。
そんな温い、堕落日。