「愚行権」

 

全く身体が動かなくなって早半月。
月内ニートを謳ってはいるものの、このままでいいのかと言う不安の影がどこかにひっそりと存在し続けていることは否めない。
相変わらず脳内の引きこもりモードは変わろうとせず、
何も出てこない言葉も、その語彙も、
インプット力もアウトプット力も。
そんなとき為末大さんが「愚行権」と言う言葉を発していた。ナイスタイミング。
勝手に拝借、勝手に行使。

そして奇遇にも、先日メインアカウントのIGTVに載せたショートムービー内にも、
「愚行だろうか」という言葉を入れている。

そんなわけでとりあえず生きてはいる。


水力発電の発電機はなんとか無事に電源は落ちた模様。
その理由として、睡眠、食事、呼吸、排泄以外のことはほぼしていない。
目が覚めてカーテンを開けるたび空は安定の灰色で、
「一瞬太陽が差した」「一雨くるかも」の予想は尽く外れる。
カラカラに干からびたダムは、いつ水が溜まるのかわからない。


気を病むような暗い情報はシャットダウンしてもいい。
けれども、
誰もが羨むキラキラした生活や、
触れるフリして根っこには絶対触れないニュース達、
本人の意向はもっともっと深いだろうにそこは都合よく脚色する文、
それらが存在すると同時にその影がある事に気づく人はどれほどいるのだろうか。
そもそも、その影に本人は気付いているだろうか。

そこの暗さの方が実は真実だと、私は思えてならない。



この考えもそちら側から見たら「愚行」だろう。
でも私は「愚行権」行使中。