武装 後編
出先から帰宅するバスを待っていてふと足元に目をやると、
【倒れても大丈夫!⚪︎⚪︎カウンセリング】
のチラシが目につく。
私のためにあるようなチラシやないかい!と思いつつ、一瞬止まった空気の後、
チラシを見下ろして右の口角だけ上げて鼻で笑っていた。手に取ることはない。
チラシを足元に設置したのは、いまにも倒れそうな俯きがちな人間達のためだろうか。
設置場所は間違っていないと思うけど、
お花畑のデザインは如何にもなニオイがするし、
下手したらちょっとした宗教観も伺えるし、
とにかく一歩退いて武装用盾を構えてしまうデザイン。
でも、それらに救われる人もいるという事を否定はしない。
むしろ、それであなたが生きられるのならそれでいいと、そういえば何度か経験していた。
自傷行為を繰り返してしまう友人に、
「それであなたが落ち着くならそれでいい」
と言ってきた。
やたら某ビタミン剤や某プロテインを買うように勧めてくる友人に、
「私はあなたからは買わないけどそれが生きがいなら続けていいと思う」
とも言ってきた。
いつもは乗らないバスに乗って、慣れない車中の臭いと渋滞でなかなか進まない景色と戦いながら、人間を観察する。
あそこのビルのベランダでタバコ吸ってる人も、
混んできたらすっと席を立つ小学生も、
本を読んでるお姉さんも、
「ここ家かよ」ってぐらい席に座った途端足放り投げてため息つくお兄さんも、
杖をついてゆっくり車中を進むおばあさんも、
カーディガンとシャツの柄が絶妙なおばさんも、
乗車から降車まで一生スマホ見てる若者も、
真顔の割にキャバクラのキャストページ行き来して品定めしてるおじさんも、
そんな人間を観察する私も、
気づかないうちに武装しているんじゃないか。
「社会に属している人は、みんな演じているから」と演出家さんの言葉が急に蘇る。
外的な自分を保つため、
内的な自分を放っておいてでも武装していないといけない。
こんだけ高いビルが乱れ聳え立っていて車もバスもトラックも一生走ってて、
照明が消える事なんてなくてその隙間を縫うように歩かなければならない街で、
内的な自分をさらけ出すことができる人間は稀だと、
乗り換えのバスまでの道中、人間とぶつからないよう歩きながら思う。
残念ながら、このビル群に生かされてしまっているのではないかとも。
3日ほど前から顎が痛みを感じていて、
「歯食いしばってたのかな」と思っていたけど、
今日鏡で口の中を見たら、親知らず周りの歯茎が腫れていた。
「親知らず 歯茎 痛み」で調べると、
「智歯周囲炎」とヒットし、さらに調べると予測変換で「智歯周囲炎 ストレス」と出てくる。
またストレスかよ!とげんなりしつつ、
この痛みが唯一「内的な私」な気がして、明後日の歯医者を予約した。
倒れても大丈夫。
でも私は倒れない。
というか倒れる前に休む。