年末、闃寂
いつの頃からか、忙しない年末年始は私の苦手なものとなっていた。
オフィス前の門松
花屋に陳列する千両
流行りのブーツで表参道を闊歩する若者
去年は難しかった忘年会に心躍らせる新宿の中年層
仕事のやり残しの確認
大掃除
義実家への挨拶
視界に入る全て、やらなければならないこと全てが私の呼吸を早く、浅くさせる。
それに加え今年はやたら医者に通った1ヶ月だった。
慣れない婦人科。
四方を行き交う個々ののエネルギーはただ座っているだけでも私の中をすり減らす。
「安産」と書かれた置物は私への戒めのように鎮座しているし、
人捌きに慣れすぎているメディカルスキャニングのスタッフさん達は私なんぞただのヒト一体だったに違いない。
時間は呼吸が速くなったり浅く、深くなったり落ち着いている間に流れてしまった。
この12ヶ月を確認すべく、今年に入ってクライアント先に送った請求書とスケジュールカレンダーを交互に見直し、どんな一年だったかを振り返る。
——「なんとか生き永らえたよねえ...。」
別に戦争が勃発しているわけでもないのに"生き永らえた"と呟いてしまう。
人々を囲う環境は生き残りをかけた戦場に変わりない。
とても悔しいし悲しいけれど、現に此処から去ってしまった人もいるじゃない。
本当は存在しない爆撃音も、
それから生き延びた歓喜の声も、
平穏を慈しむ声も、今の私には必要ない。
今必要なのは、雑音の無い闃寂の時間。