食事 後編

【食事/後編】
そういえば私、食事ができなくなった時期がありまして、今までで何度か。


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記憶がある中だと一度目は小学校低学年の時。
当時の担任の先生は厳しく、給食を少しでも残そうもんなら給食の時間の後の掃除の時間、その後の放課の時間、5時間目までも、すべて食べきるまで、そして泣いていても、食べることを強要していた記憶がある。(今の時代だったらニュースになり兼ねないなぁとほんのり思う)

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その子は元々食が細い子で体も小柄で、学校にもたまにしか来られない子だった。決して好き嫌いで食べられないという我儘ではなかった。私はその子がどうしても給食を食べられなくて、先生に詰め寄られて泣いている姿があまりにも痛く、そして怖く、辛うじて給食は食べていたものの、その反動で家での食事ができなくなってしまっていた。母が悲しがっていた。
(本当はこの当時の記憶は他にも沢山鮮明に覚えているのだけど生きているうちに別の機会に書きたい)

 
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小学校高学年の時には、一時期はカレー、また別の時期には麻婆豆腐の匂いで猛烈な吐き気が毎回襲ってきた。これは給食でも、家でも。
なぜその2つなのかはわからない。今はめっちゃ好きなんだけど。カレーにも麻婆豆腐にも罪は全くないんだけどカレーさん麻婆さんまじごめん。
どうしても食べることができなかった。でも「食べないといけない」という意識は強かったので、カレーの具のニンジンとかじゃがいもとか、麻婆豆腐の豆腐とか、それだけをすくって食べていた。
給食では何とかごまかすことはできても、家では母の悲しむ顔を見たくなかった、
せめてもの罪滅ぼし。


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そんなことを前回のpostに書こうと思ったら案の定長くなってしまったので前編後編に分けた次第であります。
そもそもなぜ今回の後編のことも書こうと思ったのかといいますと、
ちょうど前回postのあたりのとき普段つけないテレビを偶然つけていた時に、
「「食事は会話を楽しんでするものですね~!」」
みたいな声が聞こえてきたんですよ。
普段つけないテレビだから、余計その言葉が耳に残ってしまって
「私、食事を楽しんだことあっただろうか」と。
そのタイミングで旦那氏から器をいただいて、余計に考えてしまったという伏線がありました。


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 幼稚園に通っていたときから担任の先生にすら「感受性が豊かな子ですので云々」と言われていたとおり、人を奥深くまで見てしまう、それは今になっても変わっておらず、
最近テレビを無駄につけない理由は、テレビからですら、必要なものも不必要なものも、真正面から受け取ってしまい、そのダメージはボディーをノーガードでくらって体の奥からずんずんと滅ぼされていく感覚があるから。(この比喩以前どっかのpostにも使ったかも)


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 中学校、高校はお友達と一緒にいることで紛れていたものが、
一つずつ年齢が増える度、大人になっていく感覚も数字でも身体でも感じる度、自分で創り出さなくてはならない職業ということもあってか、自分の問題として紛らわすことが難しくなってくる。むしろこれは、紛らわしてはいけないものだと今は思える。
自分でも直視したくないほどの自分の弱点と、どれだけ向き合えるか。
私が求めている人物像でもある。
なのでこんなことをつらつらと書いている次第であります。


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前編で、「休まる時間ではなかった」と書いたけど、
元をたどればここに辿り着くのかもしれない。
元々楽しい記憶がなかった。
テレビの「「食事は会話を楽しんでするものですね~!!」」の無邪気な声がやたら耳に残って、旦那氏からの器のプレゼントのタイミングも、過去を解放するタイミングだったのかもしれない。


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給食が食べられなくて泣いていたあの子は、いまは楽しく食事ができているだろうか。
そんなことを思いながら、スーパーで見つけてしまったむかごを塩茹で一生つまんで食べていました。うめー


忘年会シーズンですね。
ご飯のお誘い待ってます。( ᐛ )👐パァ

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