7/31/2019

●祖母の話●

挙式の報告をしたいなと思いつつ、7月は最後までばたばたしており、いつの間にか梅雨が明けて今日の夕焼けの空は悔しいほどに、真っピンク。

7月末に祖母を亡くし、病気一つない人でさえ、限界があるという姿を目の当たりにした。

生きているうちに会いに、と、名古屋に一時帰省する日の未明、すっと逝ってしまった。間に合わなかった。

つい数時間前まではここに居た祖母が、居るのに、居ない。当たり前ですが、動かない身体がとてつもなく不思議に思える。祖母は何処へ行ったのでしょうか。目の前に居る祖母は、祖母だけど、祖母ではない気がした。

祖母は杖をつきながらこちらへやってきて、用が済むと「ありがとう」とよく言う人だった。
戦前戦中戦後の日本を生き抜いた人。その苦労はいま冷房の効いた部屋に居る私には計り知れない。
少しのことでも「ありがとう」、帰宅しても「おかえり」の次に「ありがとう」、一緒に住んでいたときはその「ありがとう」が鬱陶しく思えたときもあった。当時の私には祖母が生きてきた人生なんて、考えられなかったから。

湯灌を初めて見た。痩せ細った祖母の身体は、軽々と持ち上がった。
髪を洗い、乾かし、整え、化粧をした祖母は、悔しいぐらい美しかった。
通夜、葬儀と日を増すごとに美しくなった。
だから、その姿が嘘にしか思えない。
祖母だけど、祖母じゃない、だけどやっぱり祖母。居ないのに、居るのが悔しい。間に合わなかった。

棺の中には沢山のお花と、私が入籍したときの写真を入れた。
返答のない祖母に「挙式したのよー、苗字変わったのよー」と言っていたら、葬儀屋さんに「お祖母様に見せることできたんですか?」と優しく言われた。
「間に合わなかった」と口元まで出てきたのに、言葉にすることはできず顔を背けた。涙と鼻水が祖母に垂れそうだった。
「そうですか」と言う葬儀屋さんは、優しくもあり、何かを私に諭してくれた。

人には限界がある。

姑に当たる祖母の顔の周りに花を添える母の涙に、少し驚いた。
自分が入籍して思う。感謝も怒りも悲しみも喜びも、入り混じった感情が嫁と姑にはある。
「ありがとう」と言っていた祖母の姿は、私に似て(私が似て)天邪鬼なところがある母にとっては、時には母を苦しめたかもしれない。
だけど、だから、私にはわかる。お互い苦しかったけど、お互い感謝を越えた想いを持っている。

顔の周りに艶やかな花々を添えられた祖母は、更に美しくなっていた。本当に綺麗だった。もう、仏の顔のようだった。

自分の挙式が終わったとき、万感の想いだった。
だけど、祖母の葬儀が終わって東京に帰ってきて、改めて挙式の写真を見ると、更に上を行くなんとも言い難い想いに心が満ちていく。

間に合わなかった。どうすることもできないとわかっていても、どうしても考えてしまう。せめて写真だけでも見て欲しかった。
おばあちゃん、ごめんなさい。だけど、私がいまここに居られるのは、おばあちゃんのおかげでもあるのよ。

悔しいぐらい真っピンクな夕焼け、一年前にも見た記憶がある。たしか過去のpostに載せた気もする。

悔しい、を多用したけど、これは、絶対的に勝てないものだから。

明日から8月。

挙式の報告はまた次回から。
#hakodiary