梅雨間の晴れは生き止め競争後のようでして

思い返せばこの丸一年、入籍による環境状況の変化と、それに伴う目には見えない圧から常に追われ、ずっと私の中に鉛のようで無形の塊から熟成臭が充満し、ただ無形であるから吐き出すに吐き出せないという、ただ踠き自分と向き合うしかない日々を過ごしてきたと思う。
人から見れば大したことのない問題だったかもしれないが、我ながら、あぁ私って本当に真面目なんだなと呆れてしまうほど。


自分に嘘をつければ、軽く受け流せられれば、適当に考えることができれば、どれだけ身も心も楽だったろう。でも、いくらそれらスキルを身につけたとしても、そんな自分を許せられるかといったらそんな性分でもない。ひとつひとつを真正面から120%の力で受けてしまう、私の良い所でもあり悪い所。自分に嘘つくくらいなら多少苦しくても長い道のりを選んでしまう私はそう、真のドM。

熟成臭、というのは例えなのだけれど、充満しているモヤモヤがクリーンにならない感じ。この1ヶ月、ずっとぐずぐずと体調も晴れなく、まさに6月の天気とリンクしているようで。
今日の東京は久しぶりに過ごしやすい爽やかな空だったので、やっと文字を書けた。明後日からまた梅雨空に戻るらしいので、いやはやどうなることやら。みんな、オラに力を...!!! そんな目には見えない圧や、無形の鉛にも目処が立ってきて最終段階。バタバタと足音が聞こえるほど慌ただしく過ごしてきたこの丸一年、もう少ししたらモヤモヤが晴れそうな予感がしている。

この一年で気づいたのは、動きたくても動く気力がないほど疲弊してしまっていても、どうやら私は何かを発していたいようだ、ということ。
こうやって文字を起こすこともだが、これすらできないときはずっと絵本の朗読をしたり、小説に出てくる台詞を読み荒らしたり。即興で踊ったり歌ったり。(本アカストーリーズ参照) もし部屋に隠しカメラ設置してあったら恥ずかしいを通り越して武勇伝にすらなりそうなほど、一人で蠢いてる。
朗読は何せ舌ったらずで声を張ることが苦手なので、上手いか下手かといったら下手だと思う。台詞の言い回しもレッスンを受けたこともないしちゃんとは言えていないだろう。ダンスも歌も、ただ内側から出したいから出しているだけ。


ただ、表現していたい、という本質は、腐ってなさそうだ。
そしてやはり私はそんな人間だと。
10年ちょっと前の比べたら手段は変わってきつつあるが、本質の変わりのなさに、安心と共にそこに覚悟もした。

もう少ししたら去る6月と共にモヤモヤも少しはクリーンになるだろう。そのときはまた少しずつアウトプットしていく。(それまでも)
どうやら来月には32歳になるらしいので、また新しい私に期待しつつ、修行はずっと続くのであります。

ph @mairoarde thx! @sukebanmag #outtakes

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