単純且つ難解であり、その時まで

仙台で被災した後、気仙沼に赴任した教師の友人は、迫り来る津波を目の前にした恐怖が身体に染み付いた生徒、友人が亡くなった生徒、数年経っても家族がまだ帰ってこない生徒と向き合い、生徒たちの姿がとても痛々しく辛かったと言っていました。
無感情の時間が憎く思うと同時に少なからずその時間に支えられていることもあるのではないでしょうか。少なくとも、私はその一人。
誰も忘れることはないですから、忘れてはいけないことですし、辛さと共にでも、本当に少しずつで大丈夫ですから、進んでいかなければならないのが使命なのだと思いました。
進むというのは生きるということと等しいと思ってます。
#hakodiary