7月8日の挙式から早1ヶ月。いつの間にかこんな酷暑になっておりました。なんならもうお盆でした。

はじめは挙式も披露宴もやるつもりがなかった私たちですが、結局やることになったのはやはり、お互いの両親の顔が過っていたからでしょうか。
写真だけでもいいよ、と言われてはいたけど、自分の人生を共にするであろう今後約50年を神様の前で、両親や大切な人に見守られ誓えたことは、感慨深いを通り越した想いでいっぱいになった。その時は一瞬で、儚く終わる、不思議な感覚でもあった。

前回のpostでも書いた通り、挙式のあと、祖母が亡くなった。
半年前、桜が咲く前の時期から挙式の打ち合わせが始まり、たった1日の一瞬で終わり、祖母の葬儀でも、祖母は荼毘に付した後一瞬で骨となった。
8月からは私の仕事も重なり、立秋を過ぎあっという間にお盆。お盆過ぎたら8月も駆け足で終わるだろう。気がついた頃にはほんとうの秋の風が吹いていそう。

一つ一つが、着々と進んでいく。
だからなのか、とても7月の挙式は私の人生で、儚くも深い日になったことは言うまでもない。

写真が苦手な旦那氏、よく頑張ってくれました。隣に立つ私が、こう言う仕事をしているからこそ、緊張もプレッシャーも想像以上だったと思う。
場所を変え、ポーズを決められ、何度もシャッターを切られることが当たり前になっていた私。隣に立つ旦那氏を見て、私の仕事はとても特殊なのだと気づく。
せっかくなら洋装と和装の二着を着たい、と言った私の我儘を聞いてくれてありがとう。本当にごめんね、でもそれ以上に、ありがとう。

三人兄弟の中で一番の問題児だった私。幼少期から困らせてばかりだった母と二人での写真が撮れたことも、挙式をやってよかったと思った点。
この機会がなかったら、母と二人での写真って次はいつ撮れたのだろう、と思う。そもそも母と二人で写真を撮ったのは、いつが最後だっけ。

笑ってくれて嬉しかった。些細すぎることかもしれないけど、迷惑をかけすぎて、それすら難しい時期が過去にはあった。(私、暗黒期)
これからどれだけ時間が経っても母の姿だけには追いつくことはできないと、この時確信した。
次はいつ二人で一緒に撮ることができるかわからない、この写真は宝物となるでしょう。

お互いの家族は都合で来られる人と来られない人もいて、とても限られた人数の挙式となった。
式中は今まで支えてくださった家族、お友達、恩師、全ての方々の顔が巡り巡った。遠回りもしたし消えることを切に願った苦しみでしかない時期もあったが、全ての点と点が線となり現在この場にいることが奇跡に思えた。そしてまたこれも儚く点となり、線は今後も続いていくことでしょう。

一瞬でしかなかったこの日、日本中、世界中では私たちよりも幸せなことも、そして残酷なことも起こっている。宇宙では惑星たちが爆発を起こしている。私はそれらからしたミクロ単位以下のものでしかなく、しかしそれと同時に確かに存在している。
生きることに意味を求めても答えなんて見つからないし無いとわかっているからこそ、この一瞬は私の人生の中で大きな節目となった。

挙式、やってよかったです。やらないつもりだったけど。でも、やってよかった。
心から感謝ができる、唯一無二の日。

式場の目黒雅叙園さま、全身全霊のサポート、ありがとうございました。言葉で表現するのが苦手な私たちの意向を私たちの想像以上に汲み取ってくださり、本当に嬉しかったです。

さて、本日は8月の(ほぼ)ど真ん中。
茹だる暑さ。そして大きな台風。
入道雲と湿気の真夏を噛み締めながら、また点は続くもよう。

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