「過去に囚われている」と、いつかのpostで言ったけれど、最近幼少期からの記憶を遡り、文字に起こし、ミラーワークのように当時の自分に語りかける作業をしている。

独特の生きづらさは生まれ持ったもので、人よりも空気を読む力に秀でていること、先を読めてしまうことから来る不安予知、何故か勘が冴えていること、人が「1」気にする所を「5」は気にしてしまうこと、それらを人と比べてしまい自分と他人への不信感に耐え難くなったりもしたけども、そもそもの性質が違うので比べても全く意味がないということ、そんなことにふと気付き、心から納得ができてやっと腑に落ちた、4月中ば。


30年ちょいの癖は簡単に治るはずもなく、そして自分の弱さの根源を突くことはだいぶ辛いものがあり、文字に起こしながら何度も手を止め、止まらない涙をティッシュで拭いていたら、ティッシュの減りが花粉の時期のティッシュの減りに助走をつけてえげつないことになり、先程コンビニへティッシュを買いに行きました。


もう大の大人なのだから、そんなことは無視しようと思えばいくらでも無視することもできるし、それらを目に留める必要もないほど上回る行動も取ることはできる。けれども、わたしはどうやらそれらを無視することはできなくて、なんでだろう〜と考えたときに、目指す場所と求める像が違うから。という所まで辿り着いた。


わたしは一先ず置いといて、やはりそういう人とかそういう同業者の人の方が、魅力的に思えるのですよね。


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